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2010/01/01

【想い出の鉄道写真館】PART2・山線復活運転の「C62ニセコ号」

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

 

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(函館線銀山 上り9262列車 ベルビア)

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(函館線塩谷 下り9263列車 イルフォードXP2/500mm)

 

 「山線」が久しぶりに注目を浴びています。有珠山の噴火で「カシオペア」「トワイライト」「スーパー北斗」などの看板列車があの想いでの山線を通ったからです。まあ有珠山噴火ということもあり素直に喜べるものではないのは百も承知ですが、あの線路をいろとりどりの列車が駆け抜けていくという姿に興奮を覚えた人も少なくなかったはずです。けど、本当は「SLニセコ号」が復活運転するはずだったので、本当はそれを見たかった、という方も多かったと思います。

けど、けど、けどやっぱりニセコといえば、シロクニぢゃんかよ、という方もおられますよね、ぜったい。私もそのうちの一人です。
私は少なからずいた、山線に通った人間のうちの一人です、はい。ということでこのページを作ってみました。

 はじめてシロクニの「ニセコ」に乗ったのは、ちょうど私が社会人になったときでした。まだ今の会社(某プロラボ)に入る前で、ある証券会社にチラッといたことがありました。どうしても指定券がほしくて、会社の研修に行くときに、無理矢理三島のみどりの窓口に行って、10時ぴったりにマルスを叩いて貰った思い出があります。そのときはどうしても「一度シロクニの牽く列車に乗ってみたい」という一心でした。
 小樽に着き、ホームに行ったとき、そのくろがねの巨体に感動してしまいました。あんなに心躍ったのは、その後今の嫁さんと初デートしたときまで、無かったのではないでしょうか(爆)。そしてニセコを往復し、小樽に帰ってきたときには頭はすすでまっくろけでした。銭湯に入って頭洗ったら、最初の潜在はあずき色していたもんね(笑)

 その後は北海道爆走派となってしまい、次第に車での移動が多くなってしまいました。けどそういう行いが悪かったのか、「ニセコ運転廃止!」のニュースが飛び込んできました。資金枯渇だから覆しようのない話です。
どうしてもその姿をいっぱい自分の手でとどめておきたい!というお方も多かったと思います。事実、私もそのうちの一人です。その年は、5月、7月、8月と、3回も北海道に行っていました。親もあきれていました(笑)
 上の写真は9262の銀山進入です。もうおきまりの場所。前の晩から泊まり込み、駅で同じ仲間と宴会して、消化不良でゲロ吐いたけど、気合いでがんばりました。ちょっとピンが甘かったけど、思い出をとどめるのには充分でした。
 右側は、9263の塩谷発車。500ミリの一脚一本勝負です。天候が思わしくなかったので、イルフォードでモノクロ一本勝負です。けどそれが幸いしたのか、自分のシロクニの写真のうちでは、一番のお気に入りに入る写真です。

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(手宮線の一コマ XP2 ※小樽中央通りと手宮線の交点踏切から。現在は綺麗に整備されていますが、その整備される前の写真です)

 

いろいろなところで撮影しました。そしていろいろな人と出会い、そしてもてなしを受けたこともありました。
一番の想いでは、小沢の駅で泊まったときでしょうか。駅前の家の方が顔を出されて、一緒にそこにいた人たちと話をして盛り上がりました。そしてそこで私達は中日×巨人のラジオ中継を聞いていたのですが、中日打線が江川を打ち崩し、サヨナラ勝ち(たしか)をしたとか言う結末でした。そのおじいさん、めちゃくちゃ喜びました。私も喜びました。当然です、私もそのおじさんもはドラキチだったからです(笑)。
 景気がいいと言うことで、私達は家の中に招かれ、ビールのみ放題だの、スイカ食べ放題だの、この世の物とは思えないすごいもてなしを受けたのです。「江川で中日が勝った」という、その事実だけで。あれから7,8年たちますが、未だ脳裏に焼き付いて忘れられない思い出でした。

 塩谷-蘭島のお立ち台では、足もないのに行きも帰りも送ってもらって(しかも帰りは千歳まで)、その見知らぬ方々の好意に感謝感謝でした。シロクニの撮影にはとくに車でのオッカケなどで評判が悪い話もよく見受けられましたが、それでも異境で同じ趣味を持つ同胞同士、話が合えばすぐにうち解けて、なんともいえないいい気分で帰れたのもこれまた事実でした。

 シロクニの撮影でしたが、それ以外にもいっぱい想いでの写真を撮ることが出来ました。そのころは写欲があふれていたからなのでしょう(う、い、今は・・・(爆))。上の写真もシロクニの呪文が解けて、小樽に戻って、ぶらぶらしていたらハッと目に留まってシャッターを切った一こまです。

 

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さてさて、時はもう10年以上経ってしまったのですが、今でも北海道のシロクニのことを追えるアイテムがあるのでちと補足として書いてみようと思いまして・・・。

「JTBキャンブックス」から「追憶のSLC62」という本が出ています。多分まだ手に入るのではないのかな・・・・・自分はだいぶ前に買いましたけど・・・・・税込み2060円で手に入れることが出来ます。
この本、なにがお勧めかというと、シロクニの全データがわかるのは貴重なのですが、さらに8センチシングルCDの音源がおまけとしてついている事です。もともとがDAT(デジタルオーディオテープ)録音なのオリジナル音源がCD並。よって再生すればナマ録といえどもほぼリアルな情景が呼び出せることです。しっかりしたオーディオセットがあればこの上なく鉄分の補給には十分すぎるほどのバリューがあることでしょう(笑)

実のところ・・・・・うちの子供もこの音源にはまっていまして(爆)、ヘタなおもちゃよりもこっちの方がお気に入りになってしまっています(^^;。この音源を聞かせて、梅小路でホンモノ見せて、たまに北びわこなんかにいったらもう子供は・・・・・(笑)。

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思えば復活運転はなんだったのかとふと思うことがあります。

ちょうど世間はバブリーな時期(から転げ落ちていく過程にもかかっていますが)でもありまして、たまたま運のめぐり合わせで目の当たりにすることが出来たのでしょう。

ひと夏で3回も行ってしまったこともあります。ちょうど大学在学中から社会人になってという頃だったのですが、ある程度お金が自由に使えるようになって行動半径も広がって。いちばん自分にとって多感でいろいろなことが思い出に残っている頃の話でもありました。

もう恐らくコストの面、物理的な面、技術伝承の面から動くことは無いのかも知れません。ひょっとの話で梅小路あたりに持ってきて・・・・・という話も仮想なレベルであるのかも知れませんが、多分ない話でしょう。たまに苗穂あたりでお目にかかれるくらいの話で時は過ぎていくことでしょう。

ちなみに、我が家のリビングには倶知安峠のモノクロ(しかも自分で焼いた写真(笑))が飾ってあったりします(笑)

 

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(蘭島~塩谷のお立ち台から撮った写真。9263列車)

 

2009/07/28

JR東海浜松工場「新幹線なるほど発見デー」レポート (2009.7.26)

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我が家の恒例行事、JR浜松工場の「新幹線なるほど発見デー」に行ってきました。
前回のレポートが腐食化してきたので、新作を書き下ろし。。。。(謎)
今年は久しぶりに家族全員揃ったので、4人でお出かけとなりました。


★電車で行くか、車で行くか。。。。

本来なら電車で行くのがエコなんですが、今回は車で行くことにしました。
なんでかというと、

・下の子供がまだ3歳である。
・無料バスの列に4人揃って並ぶのに耐えられない(特に下の子供)
・前日、前々日に上の子供がアウトドアで遊び倒していて、多分この気候ではネを上げそうだ(笑)
・名古屋から多分電車に座れない(浜松まで立ちん坊になりそう)
・高速1000円でコストパフォーマンスが。。。。。
・帰りに道の駅によってスタンプラリーのハンコが欲しかった(^_^;

ということで、今回は愛車(新車)でのお出かけとなったのでした。
昨年はパノラマカー(パノラマスーパーのパノラマ席)に子供をはじめて乗せてやり、今年は新車でゴー。毎年少しずつ変化を付けてやらないと飽きちゃいますしね。。(^_^;

★車はどこに止めたのさ・・・?

自宅を出たのが7時半。伊勢湾岸道から東名に入り、浜松西まで1000円高速(笑)。
懸念された渋滞もなく、2時間で浜松に着いてしまいます。途中コンビニ、給油もあったので実質の所要時間はもっと短いかも。そのあいだ子供はDVDをみて後ろの座席でよい子よい子モード。(やはり後部座席モニターをつけたのは正解だった(^_^;

今回、車は浜松駅前のザザシティの市営パーキングに止めました。20分100円、4時間滞在で1200円。まとまった人数ならタクシー代(910円でした)を含めてもそうたいした金額ではないと思います。まあ18きっぷで行ければそれはコストパフォーマンスが一番いいのでしょうが、実情として青春18切符を完全消化できるヒマが我が家にはありません。たとえ買ったとしてもそれを完全消化出来る確実さもないし。。。。

#イ○ンのSCに止める方も結構いるようですが、買い物もしませんし、その一線は守りました(笑)
 タクシーの運ちゃん曰く、そこから往復する頻度は高いようですが。。。

で、それはそれでいいとして、表通り(かじ町)ではタクシーがつかまりません。みんな駅からタクシーが発進しているので流していないのです。もうこうなると心理戦です。裏通りから出てくるタクシーをねらって交差点の角に立ちます。この作戦アタリ、すぐ捕まって「浜松工場でしょ!(笑)」で決まり。

実は一昨年、同じ駐車場に止めて路線バスを待ったんですが渋滞で全然来なくて。見事に外したので今回はタクシー、と決めていたんです、はい(笑)。タクシーの運ちゃん、昨日は13セットやったそうで、今日も張り切ってました(^_^;。山手に入って裏道でたったの10分かからずで浜松工場。一応アクセス面での作戦は成功したようです。

★ここからは毎年おきまりコース(^_^)

入ってからはほとんどいつもと同じコースです。
今年は暑さ対策に重点が置かれているようで、ミストシャワーの
今年はミニSLが無かったです。あと運転台が5カ所になってました。ドクターイエローは撮影のナイスポジションが作られてました(東京方。両方あったけど、実は東側は空いていたのだ(^^))。

 

Hamako2009_01

(今年は朝のうちは雲も多くて早く入った人はそう辛くないハマコーでした(^^))

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(展示物は例年通り。ついに全面引退した0系も間近に見られました(^^))

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(T4(ドクターイエロー)。今年はイイ撮影ポジションで撮れました。東側が空いてますよ。)

 

在来線車両もED18、DE15、EF58、113系(111系だったっけ?)、トキなんかは毎年恒例でしたが、なんと今年は隠れ展示物がありまして。
それは。。。。大垣夜行と急行東海で活躍したサロ165が入場しているのを発見!
サロ165-108が遠くに見えるように置いてあるのを発見してしまいました。恐らく解体ではなく再来年開館する博物館に入るのでは。。。と願いたいところですが。。。。(^^;
去就が気になる気になる117系も中間のMM'ユニットが置かれていまして。なんか今年はなんかのサインを送っているのかな?と思わせる一般公開でした。

 

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(いまや骨董品、EF58-157。足のスポーク車輪まで間近に見られる機会は少ないです。)

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(こちらもなかなか見る機会のないDE15。暖冬だとさらに少ないので貴重です。)

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(今回の隠れ展示物ナンバー1、サロ165-108。青春の思い出が。。。。(涙))

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(最後はやっぱりお買い物。子供に好きなおみやげを選ばせるのが本日の最後のおつとめ・・・(笑))

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(さりげなく去就が注目される東海の117系も目に付くところに・・)

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(検査はZ0編成が入場。そのN700を使ってちびっ子車掌体験の記念撮影。いい演出だ(^^))

 

今年の公開中入場していたのはN700のZ0編成でした。


★今年のアンケートの景品&子供向けのバッジは。。。。

 

Hamako_omake_2009

 

今年のグッズはこれ。
アンケートに答えての景品は携帯ストラップ。
バッジのデザインはこの写真の通り、でした。子供二人連れて行ったのでバッジは2コ。ストラップもヨメサマを連れて行ったので2本。おまけはしっかりゲットして帰ってきました(笑)

~~~~~~~~

午後2時前にはお土産も買って帰りもタクシー。かじ町の春華堂でうなぎパイのお徳用を買って、ミスドでちょっとお茶をして、帰りは浜名バイパスからR1~R23経由で下道をのんびり走って帰ってきました。
(が、最後名古屋市内から土砂降りの雨に遭い、あ~車で行って助かった!と結果論ですがつくづく思った今年の浜松工場、であったのでした。。。。

(2009.7.28記)

 

2005/09/25

つくばエクスプレス&メガライナー乗り比べレポート(2005.08.28&09.25) その2

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(続編)

その続きがあります(笑)

わが家このご主人様の東京飛ばされ劇の前に、ディズニーランドに秋に行こうと決めていたんです。9月の3連休に行くぞ、と決めていて、その際にも子供にTX+(今度は)メガライナーで喜ばせてやるぞ、という計画を画策することとしました(笑)

9月の3連休の最後の日、帰りのぷらっとこだまの時間が3時過ぎだったので朝から計画を決行することとしました。
朝、赤羽のホテルを出て(ディズニーランドに行くのに赤羽のホテル泊まっていたのよ)、まず東京駅に行きました。帰りのことを考えて、行きはメガライナー、帰りはTX、というスケジュールにしたのです。
駅でロッカーに荷物をぶちこんで、ハイウェイバスの乗り場へと向かいます。時刻を確認。10時25分のメガライナーで一路つくばへと向かいます。

わが子はバスが大好きなんですが、始めて見る二階建てのメガライナーに大喜び。当然二階の一番前の席を確保します。当たり前です。田舎者の希少な機会を大切にしなければいけないこの切実さをわかってください。。。。。(爆)

といいたいところだったんですが、なんと後ろを見て見ると我が家族三人以外に二階に陣取っているのはたったの二人しかいない。。。。。。(爆)。そう、すっかりTXにお客さんがいってしまってメガライナーはもぬけの殻と化していたのでした。。。。

定刻になり、オノボリ家族を乗せたメガライナーは東京駅を出発。首都高に入り、いよいよつくばへ。。。。。が、突然サスがパンクかローリングを起こしたようにフニャフニャな動きをして少ない客の車内は・・・・・という状態に。しばらく徐行をして高速に入るころにはおさまりましたが、あれは一体なんだったのか。。。。と(笑)

 

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(券売機できっぷを。ちなみにつくばでは領収書つきを。。(笑))

 

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(あこがれのメガライナー到着。。。。)

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(あれ、車内はがらがらじゃん。。。(爆))

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(ほとんどおのぼり丸出しの家族。。。(爆))

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(一路つくばへ出発!ちなみに前のDDは昼特急大阪行き。)

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(常磐道を快走。守谷PA付近。)

 

で、また子供とはしゃいでいたらいつのまにかつくばターミナルに。トイレに行きたかった子供の用を済ませて、昼ごはんをターミナルのローソンで調達して、今回も直行でTXつくば駅へと階段を降りて行きました。
ヨメ子供もこの新しい電車には関心しきり。帰りはセミクロスシートの車両に陣取りお出掛け家族のフリして一路秋葉原を目指します。
帰りは区間快速だったので各駅とその周りを眺めながらの帰路です。首都圏最後の開発鉄道ということなんですが、北総開発と千葉NTが伸び悩みに終始、というのは鉄な方なら周知の話なんですが、このTXは結構行くのではないか、と見ました。そのうちホームライナーとかの座席定員制の列車や着席サービスもできるんじゃないのかな、とも思ったりもしました。

あれこれ考えているうちに列車は秋葉原へ。
TXはATOなんですよね。名古屋なんかだと地下鉄桜通線もATOなんですが、ATOとVVVFの加減速があんましスムーズではないと常日頃から思っているんですが、このTXのシステムというかプログラムの演算は感心するくらいスムーズです。まあ開業時期と技術の進歩のこともあるんですが、かなりシステムには高い点をつけてあげてもいいのではないかと思いますよ。

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(マクロでなんでも撮ります@館長(笑))

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(つくば駅。終着駅は始発駅。。。(謎))

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(沿線はまだのどかです。けど開発してもらわないと収支が。。。。(^^;)

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(地元に配慮か@日立製。けど甲種で山口から運んできたのよ(笑))

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(開業1ヶ月にして早くも秋葉原駅に水漏れ発生!どうしたことか。。。(爆))

 

アキバでは乗り鉄に付き合ってくれたので子供には万世橋の交通博物館をみせてあげて、ヨメサマにはできたてのヨドバシアキバでの買い物タイム+カフェタイムを提供(笑)。ほどなく時間となりまして東京駅に戻り、ぷらっとこだまの人となり3時間お昼寝をして(このお昼寝タイムにはちょうどいいんですよね)、名古屋に帰ってきました。。。。ら、万博の最終日で小泉さんやVIPの方が大勢名古屋に集結して物々しい名古屋駅だったのでした。。。(そういえば東京駅もごみ箱がありませんでした、、、、)

以上、2日にわたるTX&メガライナー乗り比べレポート、でした。。。

つくばエクスプレス&メガライナー乗り比べレポート(2005.08.28&09.25) その1

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昨年の夏。
仕事でどうしても頭数が足りないということで東京に行け、と言われまして。まあ半月くらいならええかあ、と思って行ったんですけどね。
なかなか東京にいきなり行かされても休日には何を楽しめばいいんだよ、という話になると思います。とりあえず2回ある休みのうち1回はハムフェアに行くことで消化できます。もう1回はどうしようと思ったんですが、そんな時に棚ぼたで「つくばエクスプレス」の開業と時期が重なりました。これはチャンスです。早速乗りつぶしをすることにしました。

8月28日の日曜日。私は秋葉原の駅南側にいました。ヨドバシカメラの新店舗がそびえ、北には再開発ビル。アキバも様相が一変していました(とかいっちゃってその前の週から東京にいたのでぶらぶらしていましたが(爆))

秋葉原の駅の南側から案内サインにしたがって階段を降りて行きます。なんか案内板が名鉄のサインみたい。。。。サインの色づかいがおんなじなんですが(笑))。。。。

構内は結構広く設計されていて、切符売り場のあるコンコースはかなりの大きさ、広さがありました。さすがは金をかけて整備した?だけのことはあるな。。。。。と。
構内では無線LANも使えるようです。ただし自分はモバイルは好きでもホットスポットだけは好きになれなくてね。。。パソコン立ててあれこれやるんだったら駅なんかでやらなくてもいいとも思うんですが。。。。まあいいっか(笑)

 

Tx_01

(すっかり変わった秋葉原。昔からたまに行ってましたがその変貌振りには。。。)

 

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(TXのロゴ&CI、かっこいいですねぇ(笑) )

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(広いコンコース。まるで999の駅。。。。数百年経ったら実際そうだったりして(謎))

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(ワタシは公衆無線LANは興味ナシ。。。それだったらG3ケイタイにする。。。(笑))

 

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(フォントを変えれば名鉄のサインとソックリなんですが。。。。。(^^;)

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(パスネットのカードを売りまくっていましたけど名古屋では使えないもん。。。(笑))

早速切符を買い求めるべく券売機に並びます。係員はパスネットの購入(で乗り越し精算)を半ば勧めているような感じでした。
1150円の切符を買って乗り場に並びます。開業1週間後ということもあり、すぐ行列が出来てしまうので駅徘徊はほどほどにして、快速つくば行きの列に並ぶこととします。
言わなくても周知の通り、TXはホームドアです。なので子供さんなんかには電車を見せて上げるのにはちょっと苦労がいりそうです。
ドアが開き電車に入り、今回は独り身なのでロングシートの片隅に座ります。さすが首都圏というかご祝儀なのか、広告枠も埋まって車内を見回しても飽きが来ませんね(笑)
(名古屋なんて中吊りなんて一部の優良路線を除いて自社広告なんかで埋めているのが実情なんですよ。。。。。)

 

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(サインのデザインとか結構興味ある私。。。(^^;)

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(構内案内サインです。)

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(電車は交流区間に入るため、直流専用の青、交流区間に入る赤の二つです。)

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(「つくばエクスプレス」っていうバラらしいです「セントレア」っていうランといい勝負か(爆))

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(そそ、以前名古屋でTXの甲種回送みたっけ。それ以来の「再会」でした(笑))



駅名つけるのはまていろいろあちこちからツッコミがあったんでしょうね、けど無難な名前にしたのが分かるような。。。。
(流山セントラルパークか。。。名古屋も桜通線「久屋大通」なんていう名前じゃなくて「セントラルパーク」ってすれば一躍人気の駅になったのに。。。。けど固有名詞(これは名古屋の地下街の名前だ(笑))の名称付けは例外を除いてペケみたいな風潮もあるし。。。。(笑))

乗り心地はさすが最新路線、というかスラブ+ロングレールなんで揺れようがない。。。。(爆)、あ、そうか、と思っていたら知らない間に眠ってしまいつくばまで眠りこけてしまいました(笑)。それだけ金をかけた事の証しなんでしょう。。。。

 

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(「つくば駅前」だそうです。)

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(すごいな、博覧会並みの入場制限。。。帰りは当然バスにしました。。。(笑))

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(駅前では「まつりつくば2005」というイベントをやっていました。。。。)

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(じつはメガライナーの実物は今日見るのがはじめて。。。。。)

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(電車の混雑を避けたのか、バスもほどほど乗っていました。。。)

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(1時間ちょっとで東京駅に到着、でした。。)

 

つくばに着くと。。。。案の定1000円パスネットで乗った人が精算所で列をなしていました。もうちょっと考えりゃいいのにと思いつつ改札を出ます。駅は広いしええなあええなあ、こんな電車で毎日通勤したいわい。。。と思いつつ地上に出ることにしました。

エスカレータを上るとそこはバスターミナルでした。
そういえばどっかのテレビ局だったか、つくばに始めての鉄道が、とかレポーターがいっていたんですが、あのぉ、80年台あたりまで走っていた筑波鉄道のことを知らないのかな。。。。とふと思ってしまいました。。。(筑波鉄道のことは別途検索でもしてノスタルジーに酔っていただければと、、、)

ああ、ここがメガライナーで有名なつくばバスターミナルなのね。。。と(笑)。メガライナーは時間が合わなかったので今回はパスしましたが、、、、

TX開業直後の週末ということで周辺も結構にぎわっています。隣の公園を中心にしてお祭りなんかもやっていて開業を盛り上げていました。ちなみにかえりのTXつくば駅は入場制限をしていました。

 

この日は帰りに買い物、翌日以降の買い物をするために早く帰りたかったのでぼぼとんぼのスケジュールで帰ることとしました。

16時くらいだったかのバスに乗って今度は一路常磐道のバスで東京を目指します。一番後ろに構えてぼーっと車窓を眺めながらの帰りです。
途中TXの線路が見えます。すっげえぁあ、やっぱぁ金かかっているよなぁ、って改めて思うくらいの立派な構造物が続きます。こりゃ開発成功しないとあとあと大変だぞと思いつつ。。。。

けど1時間なんてあっと言う間ですね、携帯ピコピコやって首都高の渋滞も東京の高見の見物だわさと思ったらしらん間に東京駅だったのでした。。。。。。

 

2004/07/25

2004・新幹線なるほど発見デーレポート(2004.07.25)

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(ブログ建立以前日のレポートなので、記事並びがおかしくなります、ご了承ください)

●またまた子供をダシに(爆)

2004年7月25日。

またまた浜松に行くことにしました。子供が新幹線大好きなお年頃になった来たので(笑)、情操教育の一環として(爆)浜松工場に連れて行くことにしました(^^)
地元某駅を7時半過ぎに出発。名古屋駅の自動券売機で青空フリーきっぷを買い、新快速で浜松へと向かいます。花博などもあり電車が混んでいろのだろうかと思ったらそれほどでも無く、豊橋までの新快速は全員着席、子供と遊んでいるにはちょうどいい感じ。豊橋からの電車も終点までも一番多く降りたのは浜名湖競艇のある新居町だった有り様(爆)。花博へ在来線で行く人は案外少ないのかな、と思った次第でして。
てなわけで乗り換えを含めて2時間ちょっとで浜松到着です。

 

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(手タレ失礼(笑) 今回は青空F+乗り越しで行きます。480円分乗り越しで浜松へ。)

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(ちなみにこのタイプ、青空Fなどが買えますよ。)

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(てなわけで浜松へ。10時過ぎに到着です。)

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(浜松駅にて。豊橋からは311系でした。)

 

 

●無料シャトルバスは長時間の待ち時間覚悟

浜松でフリーきっぷの乗り越し分480円を支払い、アクトシティーの裏の無料シャトルバス乗り場へ。
覚悟はしていましたが、すごい行列。シャトルバスは25台体制で運行していましたが、原則着席輸送(行きのみ)を行っていたためなかなかさばけません。帰りは着席の行列と、タイミングを見計らって立ってもいい方はわぁ~、というふうにやっていましたが・・・結局乗ることができたのは約1時間後。まあガード下に街路樹もいっぱい、自販機も2台あるのでへろへろになることはないと思いますが、のちの体力を考えたら路線バスでも150円ですので機転を利かせても、ということは頭に入れておいてもよさそうです(笑)。

 

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(25台の無料シャトル。原則行きは着席輸送。4社のバスを使ってました。)

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(列は道路向こうのアクトシティー側へ。この場所だと最後尾で45分~1時間待ち。)

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(最後部でーす(笑))

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(てなわけで乗ったらあとは浜松工場の中までダイレクトに運んでくれます・・。)

 

 

 

 

●いよいよ浜松工場へ

そんなこんなで1時間待って、乗車は10分(爆)。
病院の診療みたいですが(^^;、ほどなくJR東海浜松工場に到着です。
昔は正門にバスをつけていたのですが、今回は裏手の通用門から工場の中にダイレクトにバスが入ります。
バスを降りたら受付。ここでパンフレット類、スタンプラリーの紙などを受け取りいざ出発です。
しかしまあすごい人・・・・・すでに日陰はかき氷をほおばる人などでいっぱい(笑)。ミニSLには長蛇の列(3編成でもさばき切れず、おまけに脱線もしていたぞ(爆))。
とりあえず子供の欲求を満たすために新幹線そのものを見に行きます。

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(受け付け。ここでアンケート用紙やスタンプラリーの紙などを受け取ります。)

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(列車脱線でダンゴ運転!の図(笑) これはミニSLの脱線復旧の様子でした(爆))

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(すでに日陰はこんな感じですごい人・・・・。ある程度覚悟して行った方がいいかも。)

 

フル編成での据え付けは、300系1本と700系1本。この2本4カ所の運転台を使って事前申し込みの運転台見学(子供対象)をさばいて行きます。運転台は1分程度いられるそうです。私達は申し込みしていなかったのでパスでしたが・・・・そんなに混んでいるようでは無かったので次回はぜひ(笑)。

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(700系(C21編成)が運転台見学車)

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(100系(X2)の先頭車を展示。これに乗って修学旅行に行った世代です。)

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(ドクターイエローT4編成。結構人気でしたよ(笑))

 

その他ドクターイエローのT4編成1本、100系の先頭車、食堂車、0系、300Xのレコードステッカー貼り付け車先頭車各1両が屋外展示されたいました。
とにかく暑い。なんという暑さといいますか。子供も最初は喜んで歩いていましたが、しばらくしてだっこして回る羽目になってしまいます(笑)。

 

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(S-88編成の先頭車(22-88)を展示。)

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(X2編成の食堂車(168-9001)も展示。案外車輌残しているのね・・・(笑))

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(300系(J38編成)も運転台見学の対象車輌でした。次は応募だ(笑))

 

●とりあえずごはん

とにかく涼むところがない。まだカンカン照りでは無かったところが幸いでしたが・・・・・。
あまりに暑いのと人の多さでとりあえず休憩所となっている体育館へ。
子供のおむつを替えに行きます。子供連れが多いのがこういうイベントのセオリーですので、授乳室、おむつ交換スペースが2カ所ほど設けられていましたし、トイレもおむつ用のゴミ箱までちゃんと用意されていました、男性便所まで(笑)。

ミニSLの待ちスペース、シャトルバス待合いのスペースには必要な数のテント、要所要所にはドリンクやかき氷の水分補給が出来る売店が並んでおり、イベントのMCさんも熱中症なんかには気を付けてと周知していましたし、かなり主催者側としては暑さの中でのイベントと言うことで気を使っていたのだろうと思われます。

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(スペースの関係で続き。300Xの955-6を展示。A0編成。)

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(このマークはなかなか見ることがありませんよね・・・・。)

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(体育館の中。休憩スペースと遊び場となって大混雑。)

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(冷房が無いので氷柱が立っていました・・・。)

 

体育館に入ると、おむつ交換スペースと授乳室は冷房が効いていましたが、それ以外の場所、体育館はてっきり冷房があると思ったら非冷房・・・・・氷柱が何本かは立っていましたが、冷房がある物だと思っていたのに期待はずれ。しかも中は同じ事を考えていた人たちで既に座るスペースなどなし。
仕方なく端っこに段ボールを敷いて、お弁当(600円)とおにぎりを買って食べることとします。
まあ、ほどなくして天候が雷雨かなあみたいな雲行きになってきて涼しくなったのが救いでしたが・・・・。

●その他展示物

その他展示は大がかりな物だと車体吊り上げ。30トンクレーン2台に吊り上げられた700系先頭車を見る為に黒山の人だかり。通路が通れないくらいの人を集めていました。その他架線試験車などの工事用車両が数両、111系トップナンバーのMM'ユニット(Tcは佐久間レールパークに保存されています)、元大垣のクモヤ90、トキ900(3軸無蓋車)の復元車両なども展示されていました。

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(車体吊り上げ実演。迫力ありました(笑)

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(座席を取り払われた700系の車内です。)

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(愛知機関区のDD51-856の車輪です。機関車の修繕も浜松工場の役目なのです。)

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(大垣にいたクモヤ90005も保存展示されていました。この他保存車が影に・・)

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(セミアクティブサスはカヤバ製とは(笑))

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(ちびっこクイズ大会もやってました(笑) )

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(広い工場がそのままの姿で見られて圧巻でありました。)

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(復元貨車のトキ900・4837号車。当該工場にて平成12年の復元。)

 

なおシャトルバスの入り口通路からちらっと見えましたが、直近に廃車となったユーロ色のEF65-111、DD51-821、14系が1両など、てっきりスクラップになってしまったと思われていた車両もナンバーブートなどは外されておりましたがひと固まりになって留置されておりました。まあプレートが外されていると言うことは部品取りかなんかの目的なのでしょうが・・・・・・。

 

●おみやげ

イベントといえばおみやげ。
子供もいるので買わずに帰るのは大罪です(爆)
何を買った&貰ったのかといいますと・・・・・。

・アンケートに答えるともれなく貰える700系AMBITIOUS JAPANのパソコンモニタークリーナー。結構大きくて子供はおもちゃ代わりに大喜び。
・子供向けスタンプラリーを満了すると貰えるSUMMER IN HAMAMATSU2004デザインのピンバッチ。今年は緑ペースでした。
・帰りのシャトルバスの乗り場で貰えたご来場者20万人達成特製バッジ。青ベースは700系、黄色ベースはドクターイエローT4仕様。
・入り口でもらえたうちわ。途中のスタンプラリーでも貰ったので合計2枚(笑)
・子供のみやげはパッセンジャーサービスのブースで買ったふでばこ&鉛筆入り。これは650円。ちなみにいろいろオフィシャルグッズを売っていましたが、10月発売予定の東海道新幹線40周年車両コレクションモデルを先行発売していたのが注目ネタでした(笑)
・デッドストック物を買った「リゾートライナー」の爪切り。200円(爆)
・JR東海バスのブースで買ったバスのマウスパッド。なぜかバスのチョロQは売り切れが出ていました(笑) マウスパッド買ったら東名ライナー(ふそうダブルデッカー)のペーパークラフトを貰いました。結構子供がバスに強い興味を持っているので大喜び(笑)
・浜松といえば春華堂のうなぎパイ。ということで春華堂のブースも出ていまして、まよわず「うなぎパイ徳用」をゲット(笑) 食べられればお徳用の方がいいに決まっています、ということで2袋も買ってしまいました(^^) VSOPのお徳用も売っていましたよ(^^)

 

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(700系はアンケートでもれなく。バッジは子供向けとバス乗り場で。)

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(SPSの売り場で買った筆箱と鉛筆のセット。650えん(笑))

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(最初に貰ううちわ。なぜかふたつ(笑))

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(JR東海バスの所で買った。マウスパット&おまけのクラフト。)

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(浜松といえばうなぎパイ。お徳用は270gで630円(^^))

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(デッドストックに弱い館長。自然とリゾートライナーの爪切りを200円で(爆))

 

てなわけで子供抱えて荷物を1個増やして帰ってきたのでありました。
帰りは前述の通り立ち席ありでバスを乗せていたので待ち時間は実質15分くらいでしたか。渋滞などもほとんどなく、浜松駅についてミスドでお茶して、電車2本のりつぎで名古屋まで。二川から名古屋までは子供もぐっすり寝てしまって。3才児には新幹線の実物を見てたいそういい思い出になったことでしょう(笑)

●勝手に総括

ということで、真夏の工場見学はトラブルもなく無事終わりました。
ちと感じたことをいろいろ・・・・。

ます、暑さと体力勝負の部分があると思います。体調が良くない、疲れているという場合はちと覚悟がいるかも知れません。水分やタオルなんかは多めの方がいいかもです。
ベビーカー世代は持参の方がいいかも知れません。階段などはありませんので(段差にはスロープや線路には蓋がしてあります)。
帰りはタクシー乗り場などありますし、路線バスも走っていますので往復300円程度なら、というのも頭に入れて置いた方がいいと思います。
一般の工場公開にあるような撮影会的なスペース&機会はありません。形式写真の撮影などはまず出来ないと思った方がいいでしょう。子供づれの方が多く、撮影は無理をしない方がいいと思います。

以上、2004・新幹線なるほど発見デーレポートでした(^^)

(2004.07.25/26記)

 

 

2004/07/20

小樽交通記念館・マニ30見学レポート(2004.07.10)

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

 

先日、北海道旅行に行って来た際、「幻の荷物車」と呼ばれた「マニ30」を見てきました。
今回はこのレポートをお送りします。


◎場所は小樽手宮の交通記念館

かの存在すら「ネットに書くと削除対象にすらされた」マニ30が、今年の夏から北海道小樽の交通記念館で公開されることになりました。
マニ30の事については他のネットのサイトなどで背景やら詳細をお調べ頂くとしまして。
ここでは実際実車を見てきたレポートをお届けしたいと思います。

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マニ30は今年の春に用途廃止となり、1両が小樽の手宮で保存されることとなって、貨物列車に引かれて北海道の地にやってきました。白石までは列車に引かれて、そこからは一般道経由で手宮の北海道交通記念館まで運ばれてきたそうです。

車両は夏休みに合わせて公開とかいう話だったのですが、日取りが正式に決まったのがちょうど私たちが北海道旅行をする直前でして。その日程を見て思わずニンマリ(笑)。そう、私が北海道を離れるちょうどその日だったので、当然のごとく旅行の重要イベントとして組み込んだのでした(笑)

手宮は行くのが2回目。なぜか新婚旅行の時に行ったのですが(^^;、今回はそれから5年も経っていまして。
頭の中の情報の更新も兼ねての訪問です。

当日は札幌・すすきののホテルから出撃。ちいといろいろほかに観光の予定も立てていたので高速経由で小樽に向かいます。
当日は雲も低く、なーんかいやな予感・・・・・。けど小樽に着いたら天気はまだ持っていまして。

高速を降りて、北一硝子の前を通り手宮方面へ。
小樽運河のまわりは観光客でいっはい。なんかいるところには観光客は山ほどいて、いないところにはとことんいない。
そんな旅行を一週間してきて、改めてそんなのを思い知らされる光景を横目に手宮へ向かいます。

マニ30は日銀所有の現金輸送車だったこともあり、その存在は「公然の秘密」であったそうでして。昔あるネットサービスではマニ30を見た、という話を書き込みしたらすぐ消されたとか、そういう話もよく耳にしたものです(笑)  今は昔の話ですがね。もうマニ30が線路を走る光景を見ることはないのですから。

実際私も1回だけ現車が走っているのをみたことがあります。その時は名古屋発東京行きの高速貨物列車に繋がれていたのを今もはっきりと覚えています。名タを出るときは編成の一番後ろでしたが、稲沢で逆編成になりますので機関車の次位に繋がれて、というスタイルです。展示パネルにも白石でDF500の次位につながれた写真が飾ってありました。

そんな希少貨車の公開ですから、さぞかしファンがいっぱいいるのだろう・・・・・・と思いきや・・・。
行ってみれば駐車場はすっからかん。パラパラしかクルマが止まっていません。直前に道新などに結構大きく取り上げられていたのでちと心配していたのですが、いってみたらガラガラだったのでした・・・・(笑)

940円を払って、中に入ります。
展示館を回り込み、南側へ向かいます。展示物そのものは以前みたこともあるので、家族連れでわざわざ時間を割いたこともあり、今回は目的物のみにターゲットを絞ることとしました(笑)

場所は山側の82系キハ/キシのヨコ、C55と旧型客車の後ろに繋がれていました。

 

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(現在の入り口は手宮洞窟の方の入り口からのみとなっています。クルマの方が便利かも。)

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(遂に陽の目を見ることになったマニ30。外側は50系客車と似た物だそうです。)

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(出入りの必要が無いので妻面は鉄板だけです)



◎あっけない?

いったら、お客というかギャラリーはぱらぱら。
てっきり行列とか出来ているのかと思ってました(爆)。やはし観光客を引き止めるにはネタとしてはイマイチの存在だったのかも。
今の観光客はサッといってパットみて、チャチャッと買って帰ってしまいますから、この手宮まで観光バスやレンタカー客を引き込んでくるにはちょっと役不足だったったのかも?という感じがしました。

それでも特殊車両の公開という事もあり、ちゃんと入り口出口の札も立ち、係員が立っていまして、テレビ局(私がいたときはHBCだったかな)が取材の撮影をしていました。あとファンかマニアか、という人が数名パラパラ。そんな感じでありました。
当然というか、んなものを家族連れで見に来たのは、その時は私たちしかいませんでした(笑)

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(まあ、車検切れが運用の中止の一因だったのかも・・・・・(笑))

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(マニ30と現金輸送、日銀の内部のパネル展示などもありました。)

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(監視カメラはパナソニック製のモノクロカメラでした(笑))

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(座席は14系のいす。リクライニングは・・・(笑))

 

小樽にやってきたのは「マニ30 2012」号車。
昭和54年、日車(日本車輌)製のものです。
現金を置くスペースは、前後に1箇所ずつ。真ん中に乗務員の居住設備があり、ここに座席、寝台、監視カメラや給湯設備などが備わっています。
寝台は14系寝台で使われているプルマン式寝台のA寝台の設備が2箇所。で4名分。14系の座席を用いた向かい合わせの椅子が4人分。そしてトイレもあります、という設備内容です。なお、中に扇風機がありましたが、国鉄マークのものとJR東日本のマークのものが混在していました。

給湯設備などの場所にはそのまま使っていました、といわんばかりの設備がそのまま残されていて、電子レンジ、インスタントコーヒーなどがそのままの状態で置かれていました(笑)
電子レンジとナントカを同時に使うな、とかいう紙もそのままでして、製造当時には長い移動の中で電子レンジを使うということは想定もしていなかったのでしょう(笑)

監視カメラは3箇所モニターできるようになっています。2つの荷物室と、車端分にある車掌室も監視するようになっています。
私たちが行ったときには、特別に床下の発電機を回して、実際に監視カメラを作動させてモニターする様子を映し出していました。

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(マニ30は愛知生まれでした(笑))

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(監視カメラがこの日は作動していました)

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(警備員の為の寝台。14系などと同等ですね)

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(これは座席に戻した状態。ブルトレ気分でしょうか(笑))

 

現金は専用の箱に入れられ(容箱/ようばこ)、1箱で1万円札で2億円入るようになっているそうです。都合、満パンで走れば数百億円の紙幣などが行き来していたという話になっていたそうです。

とまあ、いろいろと書きましたが、内容はこれでおしまい。
ここでは割愛しますが展示パネルなどもありまして、結構マニ車をお勉強するにはソツない内容でもありました。

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(電子レンジと電気ポットは同時使用禁止だそうです)

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(「ようばこ」という現金容器。1万円札なら2億円入るそうです・・・。)

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(マニ30の台車。高速貨物列車に連結されて走る性能があります(実際みたことあり(笑))

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(警備員が出入りするために真ん中にも出入り口があるのが特徴です)

◎そのほか

記念館はこのほかSLなども運転されていましたが、展示物によっては傷みが激しいものもあり、遠目に見たものではキロ26なんかはパテ塗りで補修をしている様子も伺えました。
このほか、この旅行では三笠の鉄道村/クロフォード公園にも行ったのですが、こちらも屋外展示物の傷みが非常に激しく、予算が取れない中で産業遺産の類がこのまま行くと朽ち果ててしまうのかなあ、という感を非常に強く受けました。

海が非常に近い場所にあり、果たしてマニたんもどのくらい潮風を受けてもちこたえてくれるのか心配でもあるのですが・・・。

そんな心配をしつつ、次の予定があったので私たち一行は次の目的地へと向かったのでありました・・・・。

(2004.07.20記)

 

2004/05/12

三重県紀和町・瀞流荘/湯の口(湯ノ口)温泉のトロッコ列車(2004.05.04)

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

 

ツウには有名な湯ノ口温泉のトロッコ列車のレポートです。

 

 

○どこにあるの?

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場所は三重県の一番はしっこみたいなところ。三重県紀和町といい、南紀熊野地方のさらに山奥に入ったようなところです。
左の写真の橋が国道311号線で、右手に向かってトンネルに突入していくと道なりに熊野のほうへ。丸山千枚田なんかもこの左手のほうの山のちいと向こう側、というところにあります。
(正確には宿のHPや地図ソフトなどで確認してみてください。まず迷わないとは思うけど・・・・・)

「瀞流荘」はこの写真の三角屋根のところの左側が本館で、311号からも外に表示が出ているのですぐわかります。
また、国道42号線からも湯ノ口温泉は大変ご丁寧な案内サインがいっぱい出ていますので、熊野までくればどうでしょう、30分くらい車で走ればたどり着けるのではないかと思います。

下の川は北山川です。

※移植時の館長脚注:瀞峡ウォータージェット船は運行が廃止されていますので、もう乗ることが出来ません。(2025-5)

ちょうどいったらウォータージェット船が通り過ぎるところで、お客さんを満載して行き交うのを見ることが出来たのでした。。。

で、肝心のトロッコはどこからどういう風に出ているのかといいますと・・・・。
この瀞流荘の裏手に昔あった紀州鉱山のトロッコの線路が残っていて、それを一山超えて向こう側にある湯の口温泉の裏手まで10分ほど乗っていくのがこのトロッコ列車とといことになります。

○出発進行!

では、実際トロッコがどういう物なのか見て見ることにしましょう・・・・・。
瀞流荘の裏手の駐車場に行きます。旅館の駐車場とトロッコ列車の駐車場は分かれていますので、案内にしたがって奥へ・・・・・・。

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(瀞流荘駅。中には写真とか展示もいろいろありました・・・・。

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(1日6便です。注意していかないと乗りそびれますよ・・・・・(笑))

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(お客さん乗せて発車待ち。側面には「交通安全運動」の標識も。)

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(お客様がくれば即増結!なんとも顧客第一主義なスピードサービス)

 

 

 

 

始発の瀞流荘駅は結構立派な建物。左の入り口が駅舎で、中にはいろいろな写真の展示もあったりします。料金はおとな200円、こども100円。ダイヤは写真のとおり1日6便です。なので計画を立てていかないとせっかくの目的が果たせない、という結果になってしまいますので十分注意しましょう(笑)

この日はGWということもあり結構大勢のお客さんが来ていまして、見掛けたときには既に6両編成で満席! とはいっても1両に5人くらいしか乗れないのですが・・・(爆)
で、なかなかやるなと思ったのは、次にお客さんが来たらいとも簡単に「増結」してしまうことで、後ろから人力で予備の客車をヨッコラショ、と持ってきてタイムリーに増結してしまって、堂々の7両編成+EL(バッテリーカー)にしてしまいました(笑)

時計を見たら発車時刻を大分過ぎていたのですが、まあそこがなかなかのんびりしているところでして・・・・(笑) 満員のお客さんを乗せてトロッコはトンネルの奥深くへと消えていったのでした・・・・。

 

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どっかのブルトレといい勝負の編成両数かも・・・・・・・(謎)

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こうして闇に消えていったのでした。行程はまっくらけ・・・・・)

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湯ノ口温泉の出口です。)

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こんなところにもかんぽの資金が生かされているらしいです(笑)

 

 

 

 

ちなみに今回は時間が無くて乗れなかったのですが・・・・2歳児が拒絶してしまったのもあるのですが・・・・・・(怖くて暗いところは絶対拒絶なお年頃(笑))

反対側の湯ノ口温泉駅はトンネルとトンネルの間に作られた駅で、温泉のちょうど裏側に着きます。

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湯ノ口温泉駅常備の車両もあり撮影などはフリーでいつでも。)

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温泉の本屋。湯治場の雰囲気漂うなかなかナイスな温泉。300円。)

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この先は通行不可。中から湿った暖かい空気が絶えず出ています。)

 

温泉駅にはトロッコとバッテリーカーが常備されていて、乗らなくともその雰囲気を確認することが出来ます。温泉は「館長の温泉レポート」の方に詳しく書いておきましたのでそちらをご覧頂くとしまして・・・・・。

この日は気温が低く、トンネルの中からは湿った暖かい空気が断続的に噴き出していました。ちょうど青函トンネルの冬みたいな?感じでしょうか(^^;
鉱山の歴史などは他のページや資料などで確認していただければと思いますが、乗れるトロッコが昔の姿で現存しているのは貴重な存在でしょう。
ちょっと幹線国道からも離れていますし、バスは一応ありますが車が無いと行きづらい場所にあるのも事実です。けど鉄道フリークのお方には行って損は無いような場所だと思います。

以上、湯ノ口温泉のトロッコ列車のレポートでした。
(2004.05.04取材/5.12記)

 

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★移植時の館長脚注:現在このトロッコ列車はトンネル内損傷のため運行されていない(坑道外の一部区間だけ動かすことがある)そうです。

(2025-5月記)

 

2003/12/14

尾久客車区・ふれあい鉄道フェスティバルレポート (2003.12.14)

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

(ブログ建立以前日のレポートなので、記事並びがおかしくなります、ご了承ください)

2003年12月14日。知人の結婚お祝い会のついでというかそんなのでJR東日本・尾久客車区の一般公開に行って来ました。今回はそのレポートです。

 

 

●すごい人

この日は赤羽からのお出掛け。知り合いが赤羽にマンションを買ったのです。車庫に近い友人(笑)を持った私は幸せかも(^^;、「パーティーの翌日、尾久でSLが見られるんだけど、行く?」という問いかけに対して「いく、いく」と、超乗り気(笑)
 前日の酒が残っていたのといつもながらのうだうだで(^^;10時半ごろにぼちぼちおでかけします。赤羽の駅で一応確認してホームへ。いきなり快速2本尾久通過をかまされ幸先の言いスタート(爆)。

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(大混雑尾久駅。なにせ出口のゲートがふたつ・・これではパニックかも・・・誘導も少なかったような。

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(結局館長はネットで確認。案内のポスター見たのは当日でした(笑))


 尾久に着くと・・・・既に目の前の車庫の中はすごい人になっていました。ホームも上野から走って来たSLを一目見ようと鈴なりの人。そう、この日は上野駅120周年イベントでSLが短区間ですが走ることになっていたのも拍車をかけたようで、ちょっと思っていたのとは違う様相になっていました。尾久駅の改札も自分たちが行ったころにはオーバーフロー状態になっていて(なにせゲートが3つしかなくて、自動改札につきもののピンコンさせる客が出るたびに通路が改札止め状態になってしまい、それが重なってもうどうしようもない状態(^^;)、出るのにも一苦労な状態になっていました(笑) まあ年に1回のことですから仕方がないことなのかも(^^;。

完全機械でがんじがらめの弊害というか、普段乗降客が少ないのでこういう大イベントがあるときにはまあある程度は仕方がないのも・・・・子供連れが多く来ることが予想されるイベントの時には、ある程度時間と(特に)気持ちの余裕がないとやってらんないと思います、はい。

ま、そんなこんなで改札を抜け、いよいよ車庫へ向かいます。駅のキオスクのかたわらにある地下通路を通って線路群を抜け、駅から10分位歩いたところが尾久客車区の入り口。結構長いです。沿道にはお巡りさんも出て警戒に当たっているほど(笑)。まあ家族連れも多くて殺気立ってはいませんでしたが・・・(^^;

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(民家の間に入り口があるという感じ。絶え間なく人が流れ込んでいきます・・・・ここで構内配置図を。)

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(思った以上にサイン類は質素。車両の説明とかもなかったなあ・・・・(案外サインとか説明は大切(笑))


●中も凄い人

入り口で展示内容を書いたチラシをもらって中に入ります。入った時からのろのろとしか進まない(爆)。なんといいますか、もう「人を見に来ている状態」でして、場内見物のところは芋洗いの状態。せっかく一眼レフにポジまで持って来たのにそれどころではない、こんなんならHPのネタ用にデジカメでパチパチやっておしまい、ってな感じかしら(笑)。とりあえずネタ用に撮影をぼちぼちこなして行きます(笑)

当日の展示はEF55 1に「夢空間」を連結した編成、EF60 19、DD51 842、EF64 1001、ACトレイン、マルチプルタイタンパー、バラストレギュレータ、12系客車が休憩所として「奥利根号」の幕で据え付けられていました。
SL(D51498)も午前中の特別運転を終えて構内の端っこに備え付けられて、時々汽笛を鳴らしながら雰囲気を盛り上げていました。
車両の状態は12系を除いて良好。(外板へこへこで痛々したった>12系)特にDD51842はぴかぴか。皆さん機関車にありもしないパターンのヘッドマークを掲られていたのを淡々と撮影していました。ただまあ個人的観測としましては、あまりに人が多くて形式写真を撮るどころではなかったような気もしました。

構内は比較的自由に歩けて、足場は悪いもののふだん見られない部分とかじっくりみられることができました。

●当日展示の車両一覧●

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(ご存じ上越線機関車近代化の主役として登場した、EF64-1000(1001)。ぶどう色。

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(バラストレギュレータ。影の線路のお守り役です。中にも入れましたよ。貴重な体験かも。)

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(架線の検査をする「マジックボーイ」。リフトの上ににも体験で上がれました。)

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(ピッカピカのDD51 842号機。どうしてピカピカなのかは、ツウだったら知っていますよね?(笑))

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(高崎にいるEF60 19号機。「やすらぎ」のパートナーとして活躍しましたよね(^^))

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(入り口に一番近かったのはEF55 1。きょうは「つばめ」のヘッドマークを掲げて人気者でした。)

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(こちらも人気者の「ACトレイン」(E993)。足回りの連接構造までしっかり見られました。)

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(マルチプルタイタンパー。線路の砂利を付き固めるこちらも縁の下の力持ちです。)

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(当日上野から特別運転を行った「D51-498」。言うまでもなく一番の人気者でした。)

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(人力「レールスター」号。某社新幹線のように270キロではなく、時速10キロくらいでした(爆))

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(夢空間。事前申し込みでフランス料理と和食がいただけたそうです。周りに見られながら・・・(^^;)

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(特別出演 東京消防庁の消防車も2台ほど駆けつけていました。大井工場の公開と同じね(^^))

 

だいたいこんな感じで鉄粉補給にはほどほどいい感じのイベントでした。
んまあこんな感じで昼頃には引き上げて、18切符で名古屋まで帰っていったのでした・・・・・(^^)

 

2003/11/23

四日市スポーツランドのモニ226レポート(旧近鉄北勢線/内部・八王子線)(2003.11.23取材)

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

 

11月23日。とあるいつもお世話になっているサイトの方のオフラインに出ました。
その途中。四日市スポーツランドを通ることが分かり、ある事が分かりました。ここでピンとくる人はツウな人(笑)
そう、ここには近鉄旧型ナローの生き証人、モニ220形の226号が静態保存してあるのです(場所は四日市の西。詳しくは各自確認してください。バスでもいけます)。

場所は「四日市スポーツランド」のバス停を降りて、坂をのぼってスポーツ施設の受付のある建物まで。その横に保存してあります。
保存状態は下の写真のように青空の下、屋根のない状態で保存されています。外観の塗りそのものは塗り直しが行われているようで、近鉄の時代そのままの姿でありました。

226号はS53の北勢線近代化の際に内部・八王子線にわたり、同線の260系の投入/近代化による玉突きでの廃車まで走り続けたハコです。
220そのものは北勢線で277形が投入されるまでの間も130形とペアを組み、廃車寸前の晩年は220×4(221-222-223-224)で寿命を全うしたので厳密にはここの226号は「220最後のハコ」ではないのですが、北勢線のソレはATS搭載時に荷物室に論理装置を置いたり、自動ドア化、床の張り替えや扉の取り替えが行われたので厳密に言えば原形を留めて廃車になったハコではありません。その点ここにある最後に残る220形の車体は、扉も床も木製で、近鉄時代の原形を留めている貴重なハコと言えるでしょう。
実際、近鉄の電車で保存をされているのはあやめ池に保存されている電車以外は保存をされている電車は確か無かったような気がします。
その点「近鉄の電車が保存されている」という点でも意外な貴重品だったりするのです。

 

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(場所はスポーツセンターの受付のある建物のすぐ隣。後ろは貸し自転車庫。)

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(字は読めますか・・?四日市なので内部・八王子線に赤文字があったりします。)

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(内部は昔のまま。椅子のクッション具合も昔のままでした。ちょっとブラインドに痛みも。)

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(正直 車内は子供の遊び場でありました・・。)

 

正直、中のクッションなどの弾力は、昔乗っていたときのまま。窓の塗りもつり革も昔のままです。昔の車両のぬくもりといいますか、木製の床の味と言いますか。そういうのを味わえる貴重な場所です。私が行ったときは子供の遊び場となっていて、ほほえましいといいますか茶目っ気を通して昔の自分が乗っていた頃を思い出させてくれたと言いますか・・・・(笑)

肝心の状態なのですが、外板などは塗り直しがされているのですがいかんせん木製と言うこともあり、かなり痛みが激しいようです。
下の写真にもありますが扉なとはご覧のような腐食、また別の扉には水が浸み込んだことによる板の浮き、外部も雨樋の破損などがありましてこのまま放っておくとそう遠くないうちに痛みの激しさが増すのではないかと思いました。んー、どうでしょう、もし某かのご配慮があるのでしたら、屋根付きの場所を作って頂いての保存などが出来ればよろしいかと思うのですが・・・・どうでしょう?

なお各種掲示板などで言われているとおり、下の写真の通り動輪部分の歯車にモーターはかかっておらず、モーターは艤装をはずされた状態で保存されています。

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(モーターははご覧の通りありません。)

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(木製ですので痛みが激しいです。原形を留めているので仕方はないのですが・・)

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(ガラスなども昔のまま。「解放お断り」が分かる世代なのですが・・<館長(笑)

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(塗り直しのペンキの色・・・ちょっと違ってました。部品の欠落も著しいです・・・・。)

 

マスコンは2エンドは原形、1エンド(荷物室のある方)はご覧の通り主制御器のタマがありません(笑) メーター類(ここにあるのは速度計とコンプレッサのメーター、実はこの2つしかもともとありませんでした)もご覧の通りぼろぼろでして。
まあなにはともあれ「本線を走る可能性がほぼ皆無である」という事実は疑いのない感じでした(恐らくやる気になっても気の遠くなるような改造工事が必要でしょう)。ますこんとかはガリガリうごかせますのでちょっとばかしここで運転手気分を味わう・・・・どうでしょうそんな程度で終わってしまうでしょう。

けどまあ昔の雰囲気を味わうにはいいとこでして、私の近くで同じような年の人が「うわぁ~、なつかしい・・・」を連発していたのが非常に印象的でした。扉をがらがら~ってあけて入ってなかに入り、椅子のスプリングの感触を味わいながら昔を懐かしむ。そんな事が出来ただけでシアワセでした。
実のところ・・・館長がこの226号に再会したのは25年振りのことです。近代化の時に行ってしまってから会うことはなかったのでまさか昭和の時代から元号が変わり、21世紀になってこんなところで出逢うことが出来るとは思ってもみなかったのです。

知らず知らずの間にいっぱい写真を撮っていました。220そのものは廃車になる寸前にずいぶんと追いかけ回したので家にはポジそのものはたっぷりんことあるのですが、こうしてまた姿を留めているのを見ると懐かしくてまたぱちぱちと能動的にシャッターを切らすにはいられなかったのでした。

以上、四日市スポーツランドの226レポートでした(^^)

=====

★移植時の注釈:館長は大昔に住んでいた時線路端に住んでいて、この電車はナマで見ていた世代の人です。まだ北勢線にATSが入ってなくて、タブレットで閉塞をやっていた頃を知っています。その頃は貫通路もなくて扉を手で開け閉めしていた世代ですね。走行中に沿線の高校生が扉を開けてハコノリまがいの事をやっていたのも見たことがあります(自分が小学生の頃です)。(2025-5)

2003/10/19

長浜鉄道スクエアレポート(2003.10.19)

このページ(記事)は本館の「鉄道趣味の部屋」のHTMLページを移植したものです。日付、文章等は作成当時のもののままとなっていますのでご了承ください。なお情報などは作成当時と異なっている場合がありますので閲覧参考程度にご覧ください(記事に基づく行動判断につきましては、当方は一切責任を持ちませんのでご了承ください。(2025-5月移植)

 

 

2003年10月19日。
言いようのないすんばらしいい(笑)秋晴れのもと、長浜まで鉄道記念館の見物に行って来ました。

場所は長浜駅の西側、一つ目の踏み切りのそばに有ります。となりが市営の駐車場になっていて、電車でも車でもアクセスは楽々といったところでしょうか(車は1時間平日150円、休日は同200円。電車の場合は跨線橋をわたって駅から5分程度ですか(^^;)。

施設は「長浜鉄道スクエア」として3つの施設が一体となっています。正面入り口にあたる旧長浜駅舎が入場券売り場になっています。
旧長浜駅舎は鉄道記念物に指定されている由緒ある建物。日本で現存する最古の木造駅舎なのだそうです。中に入ると待合室、切符売り場などが当時のままに復元展示されています。
長浜が実は東海道線全通の前、汽船連絡の接続駅だったことなど、長浜が鉄道の歴史に非常に深くかかわっていることを見て取ることができます。

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(建物正面。年末年始以外、9-17時で開館しているそうです。大人300円。)

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(1958年に鉄道記念物に指定された、由緒正しき貴重な歴史の証人なのです・・)

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(隣に今年日本ナショナルトラストが鉄道記念館を建設し、施設が充実。)

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(こちらも鉄道記念物の英国生まれのポイント。(旧長浜駅29号ポイント))

 

駅舎の中は1Fのみ公開。入って左手に行くと、1/2等の待合室(音声解説付き)、休憩室、倉庫係室、駅長室などがあり、当時の資料などとが見学出来るようになっています。長浜駅は敦賀までの鉄道が開通と同時に開業。大津までの鉄道連絡船(東海道線の全通まで存続)の接続駅として作られた駅だそうです。駅舎そのものは20年間使われ、その役目を終えましたが、貴重な明治の歴史遺産として鉄道記念物に指定(1958年)、現在でも大切に保存され、公開されています・・・・。

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(入り口の向かいに再現された出札の光景。貸衣装もあり記念撮影もできたりします。)

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(実は琵琶湖には日本で最初の「鉄道連絡船」が7年余りにわたって就航していたのでした)

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(駅長室の中の光景。額縁の中は初代駅長さんです・・・・。)

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(アンティークな時計。時代を感じさせます。これも駅長室の中の物です。)

 

 

 

 

奥に行くと今年整備された「長浜鉄道文化館」「北陸線電化記念館」の二つの建物があります。前者には敦賀機関区に保存されていて、きれいに化粧直しをされたED70 1号機と、市内の公園に保存されていたD51793号機が屋内展示。後者は北陸本線の交流電化の資料保存などをしています。

北陸本線電化~は、交流電化の歴史や経緯など、また北陸本線の電化の経緯などなどを紹介しています。模型や記念切手などの展示も豊富で、1線区の貴重な記録をまんべんなく集めています。
(余談ですが、展示はない物の鉄道ファンならダレもが知っている「北陸トンネル開通間違いだらけ記念切手」の記事も展示されています(^^;)

またビデオ上映、プラレールのセットなどもあり、子供を連れて行ってもある程度は退屈は・・しないでしょう(笑)(うちの子供はずーーっとプラレールで遊んでいました・・・・・)

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(建物は日本ナショナルトラストが宝くじ協会の援助を受けて建設した物だそうです。)

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(中には模型もズラリと展示されています・・。ヘッドマークもいろいろ(^^))

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(模型の反対側には記念切手、記念切符等の由緒ある資料が展示されています。)

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(お子様向けにはもちろんこれ・・・・(^^;)

 

 

 

 

長浜~は、機関車を2両展示している大掛かりな建物ですが、woody調のなかなか暖かみを演出している建物です。なかなか考えているな、と思ったのは、機関車の先頭には十分な採光が考えられていることで、行った日も西日がほどほど入って屋内の重苦しさをあまり感じませんでした。ただ残念なのは奥行きが足らないことで、35のカメラでは28mmはデフォ、欲を言うなら24mmはほしい、といったところでしょうか。デジカメなら面切りに終わってしまうかも・・・・(笑)

機関車のの状態は当然のことながら最高です(笑)動輪の側面なんかもきれいに磨き出されていますし、あとは運転席に登らせてくれれば・・・・といったところでしょうか。

この建物からは2Fの外に出ることができます。とはいっても北陸線が見られる程度ですが・・・・(笑)

 

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(線路側にあるのが鉄道文化館です。)

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(ED70 1は同型で唯一現存する貴重なトップナンバー。その横はD51793号機。)

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(キャブには上れないのです・・・。残念。せめて同じアイレベルで見させて欲しい・・)

 

北陸本線のこの区間はご存じの通り、「SL北びわこ号」がほぼ定期的に運行されています。長浜観光とこの資料館、SLでワンセット、という組み合わせがいいでしょう(たぶん)。

※移植時の館長脚注:SL北びわこ号は2020年を以って運行が終了しています。



そのほか、下の写真にもあるとおり、伊藤博文・黒田清隆などに由緒のあるものが屋外展示されていたりと、資料価値的には(個人的には)非常に点数の高い物か集められていると感じました。これだけの物を収集、維持管理しているという姿勢には頭か下がる思いがしたのでありました・・。

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(敦賀機関区で保存されていたED70。もう朽ち果てることはないでしょう(笑))

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(D51793もキレイにお色直し。動輪なんかぴかぴか。子供に見せるには最適です(^^))

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(北陸線旧矢永瀬トンネルの伊藤博文の題字。貴重品です。解説は現地でどうぞ(^^))


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(こちらは黒田清隆の旧北陸線葉原トンネルの題字。貴重品は他にもいろいろありました。)

 

 

 

以上、長浜鉄道スクエア のレポートでした。