【思い出の鉄道写真館】野上電気鉄道(4)「SCENE 3」-野鉄とともにいた人たち
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最期のころは、撮影に非常にうるさく鉄道敷地内での撮影は
原則禁止という状態だったのですが、
その規制になる前の約1年前に撮った車内スナップです。
その頃はまだ補助打ち切りの噂が出ていた頃で、
乗り鉄撮り鉄もほとんどいなくて、
お休みの日の昼下がりがこういう光景だった、
という記録の1コマです・・・。
[日方]
望遠で切り取ってみた写真です。
紀伊野上駅から八幡馬場駅を発車する電車を撮ってみた光景です。
よれよれのレール、老いた電車と架線柱、
すべてが一昔前。けど生きているのは今の人間(ひと)。
郷愁は時として人の心にある時計を過去へと誘ってくれますが、
切り取った光景は
やはりいまの光景だったのでした・・・・・
[紀伊野上]
ローカル線の主役はいつも決まっています。
足のない学生、そして老人。
時代の流れなのだから仕方がありません。
開発の波に乗り遅れ、日々の足にもなれなかった鉄路は、
そうやって消えていく運命になっているのでしょう。
人は時代を作ることは出来ますが、
時代とともに変わり続けていかなければ
いけない宿命も持っているのです。
すべては、郷愁というコトバに置き換えられて
いくのかな・・・
[左から連絡口、右2点は日方停車中/画像処理でモノクロ]
1日片道24本。
おおよそ昼間45~50分間隔で走っていた電車ですから、
通り過ぎてしまえば線路端ではこういう光景があったのでした・・・・・。
ところでこのごろうじんにの前と後ろにあったのは、
立てるはずだったコンクリートの
架線柱。ことごとく投資を中途半端にしてきたという、
なんとも云いようのない画像の記録でもあったりします。
1ページ目でムダにした水間の電車の話も
有名な話ですが、このムダに打ち捨てられたポールたちも
(ファンの間では)また有名な話だったりしたのでした・・・・。
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